何も変わらないと分かっている。
それでも、痛みでしか、この痛みは和らがない・・・。



BLOOD



コレットは銀色の刃をそっと手首に押し当てた。
刃の部分にさえ緻密な細工を施されたそのナイフは、けれど飾り物ではない。

その銀のナイフは、オスカーが彼女に与えたものだった。

彼女を、守るためにと。

そのナイフで今、コレットはその身を傷つけようとしていた。

「・・・痛い。」

誰も居ない、明かりさえと持っていない部屋に、静かに、ただ冷たく彼女の声が響く。
その声は何の感情も含まず、誰にも届く事無く、部屋の壁に吸い込まれた。

「痛い。」

スッと音もなく引かれた刃には、彼女の血が付いていた。

朱い、赤い血。

手首から紅が流れ落ちる。
コレットは、ソレをまるで夢のように感じていた。

手首を血が伝う感覚は、確かに現実のもので。
切れた手首の痛みも、リアルで。

なのに、彼女には、全てが曖昧で夢のように思えた。

それは、彼女がその全てを夢にしたかったからかもしれない。
そう、全てが夢ならば・・・。

(いっそ、本当に夢ならよかったのに・・・。)

今日と言う日に。
特別な、日に。

楽しげに別の女性と笑いながらあの人を見てしまったことが、夢なら。

もしも、コレが本当に夢なら。
目覚めてすぐ、あの人の元へ行くのだ。
そして、笑いながら、あの人に零せばいい。

夢の全てを。

そう、きっとあの人は笑うだろう。
そんな事あるはずないと。

そして優しく彼女の名を呼ぶのだ。
焦がれるように。

けれど・・・。

それはコレが夢だったらの話だ。

真実は、こちらが現実で。
だから、彼女の思う目覚めた後の話しこそ、夢で。

手首の痛みにその事を感じさせられる。

悔しくて、涙が出た。
そう、コレは悔し涙だ。

決して悲しい訳じゃない。

コレットは必死にそう自分に言い訳して、涙を耐えようとした。

誰よりも先に祝いたかった。
誰よりも先に、おめでとうと微笑み、言葉を送りたかった。

あの人が生まれた日だから。
今日がなければ、あの人はこの世界に居ないのだから。

なのに・・・。

あの人には、自分はどうでもいいのだ。
こんなにコレットが想っていても、オスカーは振り向かない。
彼女の手をすり抜けていく。

それは、何と悔しい事だろう?

自分だけが、こんなに想うというのは、何と不平等なのだろう?

それでも、まだ諦めきれずにいる自分にコレットは苛立った。
それでもまだ夢を抱く自分が、悔しかった。

・・・裏切られた事が・・・悲しかった。

さまざまな感情に痛む胸を誤魔化すように、コレットはまた、手首に刃を煌かす。

いっそ、言ってくれればいい。
終わらせる言葉を。

そうすればきっとこの心は壊れる。
壊れて、何も感じなくなる。

なのに、オスカーはソレさえ与えてくれないのだ。

「痛い・・・。」

見えないはずの流れる紅を凝視して。
コレットは罅割れた心を抱き、涙を流した。